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2016年01月20日

ビームスの社長が語るこれまでの歴史

 セレクトショップの草分け、「ビームス」が東京・原宿にオープンして40年。いま国内外約150店舗に広がり、他業種との様々なコラボレーションも進めてきた。海外文化の紹介から、日本文化の発信まで。その歩みを、設楽洋社長に聞いた。

【写真】オープン当時のビームス1号店

――40年前、最初は東京・原宿の6.5坪の店でした。

 半分は倉庫にしたので、店は7畳ぐらいの広さでした。「アメリカンライフスタイル」を掲げ、UCLAの学生の部屋をイメージして店を作った。洋服だけでなく、雑貨など様々なものを置いて、お金がなかったから、売れたら買い付けにいくというスタイルでした。

 いま、会社の規模は100倍以上になったけど、若者の風俗・文化を変えようと始めた当時の思いは同じです。原宿で商売をしていると、新しい店が次々とできては、消えていく。あるときはインポートブランド、あるときは“裏原”のブランド。時代によっていろんなところと勝負しないといけない。旬は新しい旬に凌駕(りょうが)されるもの。トレンドだけを追い続けて頂点を極めても、新しい旬がやってくると、お客さまは次の旬に行ってしまう。40年間続けてこられたのは奇跡に近いと思っています。

――創業したころは雑誌「ポパイ」に取り上げられましたね。

 ビームスを始める準備をしているときに「メイドインUSA」というカタログが出て、衝撃を受けました。そのメンバーが平凡出版(現・マガジンハウス)で作ったのがポパイです。そこにいる友達にいろいろと教えてもらった。当時は情報誌なんてなかった時代なので、詳しい人に聞くしかなかった。

 1976年は、若者がモノと情報に飢えていた。セレクトショップという言葉もない時代。何かが欲しいと思っても、どこで買えるかなんてわからない。アメ横や横須賀などをかけずり回りました。

――若者の流行を作ってきました。

 最初に大ヒットしたのは「BEAMS」と書いたロゴトレーナーでした。大学生がおそろいで買って街を歩いていた。ほかのブランドも次々とロゴがついた服を出した。本当にもうかったけど、売り上げの半分ぐらいを占めるようになった時点でやめました。このままだとキャラクターショップになると思ったからです。

 ロゴトレーナーを早くにやめたところが今も生き残っている。ビームスはそれからワンポイントやロゴをほとんど作っていません。

 また、ビームスのオレンジのショップバッグがはやり、街中にあふれたことがあった。広告塔としてはすごかったけど、ある程度でやめることにした。なぜなら頂点を極めると、アンチが出てくる。他社も同じようなことをやり始める。そうなると、トレンドに敏感なお客さんが逃げてしまう。すごく売れるときこそ危ない。でも、売り上げが跳ね上がる中、やめるという決断を下すのは本当に難しいです。

――1980年代、渋カジブームが来ます。

 おそらく、日本のストリートから生まれた初めてのブームでしょう。それまでは海外のデザイナーの服など、上から与えられたものだった。それが、渋谷という街からオリジナルのファッションが生まれた。紺ブレにジーンズという定番を押さえながら、小物にトレンドを取り入れる。その後のチーマーブームも含めて、ビームスも渋カジの誕生に貢献した1社ではあるけれど、あのときもやめどきを見極めるのが難しかったですね。

――今ではカジュアルからモード、子ども服まで多様な店舗がそろっています。

 「あの人のファッションはビームス風だね」と言われたとき、イメージするファッションは一つではないと思います。アメカジもいれば、モード風、あるいはトラッドなスーツを思い浮かべる人もいるかもしれない。その多様性がビームスの強みだと思っています。

 私たちは事業計画ありきの会社ではない。もちろん、企業ですから売り上げや利益は追求します。ただ、社員からの「こういう時代だから、こういう店を出そうよ」という声を大事にしてきた。

 最初はメンズだけでしたが、女性ものがほしいという声がお客さまから上がり、レイビームスをスタートさせた。世の中やお客さまの変化にあわせ、常に新しいことやろうよという気持ちでやってきました。

 子ども服も同じです。僕の子どもが小さかったころ、日本にかわいい子ども服がなく、アメリカでよく買ってきた。あるとき「ビームスで子ども服をやろう」と提案したら、社員たちから反対されてね。「ビームスはベビーカーを押した客が入るような店ではありません」と。でも、20年がたち、社員にも子どもができるようになると、今度は社員から子ども服をやりたいという声が上がった。何十年も前に同じことを言ったよと思ったけどね。

――社員から提案が上がったら、どう判断するのですか。

 まずは社員の熱意を見ます。そしてそれが勘違いではないか、普段の言動を見て考えてみる。ほかの業種は、年齢と経験が増すごとにセンスやスキルは磨き上げられていく。でもファッションの世界は、年齢と経験が増すと逆に感度やスピード感が鈍ることがある。だからこそ、人の見極めが一番大事です。若い社員に億単位の仕入れを任せている。ここを間違えると大変なことになりますから。

 昔なら若者に人気のあるクラブのようなところに行くと、僕もいつの間にか踊っていました。でも今は一緒に行った若い社員が踊るのを見ながら、内装や音楽、メニューを分析している。若い年代に向けて何かを起こすなら、若い人がやらないと。その時代を生きている人にジャッジを任せないといけない。僕がやると遅れたものになってしまう。

――1989年に幹部社員らが抜けたときも、残った若い社員に権限を与えることで危機を乗り越えました。

 普通はいつMD(マーチャンダイザー)やバイヤーを世代交代させるかを考えるのが一番難しい問題です。でも、あのときは自然発生的にそうなった。そこからまたビームスの歴史を積み重ねてきたし、それが今の成長につながったと思っています。

――ほかの店とは違うビームスらしさとは。

 ビームスはラグジュアリーブランドでもファストファッションでもありません。その真ん中の価格帯のお店です。ただ、そういう店は全国にごまんとある。

 ボタンダウンのシャツを、ファストファッションは1980円で売っている。価格の割に品質は良いので、お客さまは手に取るでしょう。ラグジュアリーブランドは数万円で売っても、ブランドのファンなら納得して買う。ビームスは7800円で売る。なぜ1980円よりも良いのかが伝わらないと手に取ってくれない。そのためにどうブランディングしていくか。

 たとえば、ビームスでは、実際にはあまり売れなくても、感度の高いお客さまが見ればうなる商品を置いています。売り上げデータだけみれば、この商品、全然売れていないからダメだと判断しがちです。でも、そういう商品が大事。ビームスはほかの店とは違うぞと思ってもらうために必要なのです。

――そのためには現場の声が欠かせませんね。

 毎週の店長会議では、売り上げだけではなく、お客さまの動きも報告してもらう。たとえばある商品を、多くのお客さんが興味を持って一度は手にするんだけれども、戻しちゃう。そういう商品が、次のシーズンにはやることがあります。

 ビームスはカリスマデザイナーがいて、服のデザインから何からすべてを考える店ではない。日々、店頭に立っている人間に、シーズンごとに「こういう商品がほしい」と提案してもらい、その商品が店に並びます。

 店も、東京の原宿、新宿、大阪・梅田ではレイアウトも違います。店頭でお客さまとリアルに接している店員が考えて店作りをする。そうやって店頭に並べた商品を、多くのお客さまが買っていくことが、彼らの最大の喜びだと思う。

――今春、新宿の店を舞台に、日本をテーマに「ビームス・チーム・ジャパン」がスタートします。

 かつて私たちは、海外のライフスタイルを日本の若者に紹介したいと思ってスタートしました。あれから40年がたち、日本人のセンスは海外の人たちを追い越した部分もある。東京は何でもそろうし、食べ物だっておいしい。

 40年間、海外のいいものを紹介してきて、これからは日本のいいものを海外に紹介したいと思うようになりました。僕自身、何十年も前にロンドンのテーラーで100年前のシャツ生地を見せてもらって、すごく良い生地だなと思ったら、日本の着物の生地だったことがあります。また、パリの高級ホテルに行けば、日本の伝統工芸品の曲げわっぱが飾ってある。海外の人のほうが日本のすばらしさに気づいている。

 今後、東京五輪を控え、世界中の人たちが日本に注目する。その中で、本当に良い物をそろえて日本をブランディングして、海外の人に見てもらいたいと思っています。そしてある程度、形になっていけば、海外に持って行きたい。

 これまでも海外に出店してきましたが、ビームスの良さを打ち出す難しさも感じていた。バイヤーが世界中から集めたものを改めて海外に持って行くのは、作業効率や事務的な手続きも含めてとても大変なことです。でも、メイド・イン・ジャパンのセレクトができれば、海外展開もぐっとやりやすくなります。

――今後のビームスはどうなるのでしょうか。

 これからも商業施設は新しくできるので、新しい店を出していくことになります。ただ、日本の人口が減る中で、今後も店が増え続けていくとは思えない。じゃあ、海外にもっと出店するかというと、それも難しい。

 ビームスの財産を生かして新しくやれることは何か。その一つが「店を持つ、企画集団になる」ということです。

 たとえばビームスはこれまで異業種とたくさんコラボをやってきました。自動車や家電、マンション、ホテルなど。我々は店頭で毎日、流行に敏感な人たちの声を拾っている。そうした声の中に、プロが見えない新たなヒントが眠っていることがあります。それを生活者の代表として、新商品の企画に生かしていきたい。

 今は物があふれて困っている人も多い。そういう人に「これがいいよ」と示してあげるようなサービスも手がけたい。先日、楽天と一緒にやったのが、楽天市場の中にある膨大な商品の中から、ビームスのスタッフがおすすめ商品を選んでいくという企画です。

 21世紀を迎えたとき、僕は「モノからコトへ」と言いました。モノを売ることで、何かを起こそうと。最近は「コトからヒトへ」と言っています。ビームスという一つのコミュニティーに、社員や取引先、お客さまが集まってくる、そういうコミュニティーブランドになりたいと思っています。
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posted by ししまる at 16:36 | 東京 ☀ | Comment(0) | yahooトップニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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